これまでの経歴

生い立ち

生まれたのは大阪で、
高石市という大阪湾に面した
泉州の入り口です

父が金箔家紋制作の職人で、
グラフィックデザインなどを
勉強してきたこともあり
絵画教室の講師もしていました。
家にアトリエがあり、父の兄弟も芸術家で
すぐ近くに住む母方の叔母は染色作家で
デパートで展覧会となるとうちの庭でも
みんなでろうけつ染めをやっていました。
家の中は、父の絵画作品から
みんなのろうけつ染めの作品で
日常が飾られていました。
そこでは
物心ついた時には油絵もやっていて、
ドローイングや染物のことは
いつから知っていたのか
習った覚えもないけれど、
いつの間にか自分でも
出来るようになっていました。
そんな環境の中、20歳ぐらいまでは
スケートボード、スノーボード、
グラフィティー、と夢中でやっていました。


スノーボードでは海外の山にハマり、
その資金稼ぎや時間の都合のため
22歳で起業しました。
その同じ年(1994年)に、
サーフボードを制作している兄に
誘ってもらって、フィリピンに
サーフトリップに出かけました。
そこでの体験が元で
今こうしていると思います。

本当のことを知りたい

そこで何があったのか簡単に言うと、
自分が地球に住んでるということがわかったんです。

もっと言うと、木も動物も何もかも
地球に生きてる仲間やったんやってこと
それと同時に、
地球の存在が気になり出しました。
自分の自覚、自己認証
あるいは自分というものの解釈が、
地球人になっていました。
ここでの気づきで
今からもう一回
0
歳から生きてみようって、
今までのこと置いといてこれからのことで
自分を作っていってみよう、となりました。

*(1994 フィリピン シアルガオアイランド)

創作活動のはじまり

この生き方を1994年以降、
自分への気づきを
ノートにとってきていますが
34年した頃に
言葉で言い表すことのできない経験も
体に染み込んでいて
それが丁度、仕事の過渡期と重なって、
そのタイミングで
自然に創作が始まっていき、
それらが作品となって
本格的に表現されていったのです。

しかし、これら作品が
自分以外の人にとってどういうものなのか
または自分が作ったものは一体なんなのか
ということを
教えてもらいたくて、また知りたくて
できた作品を売りにアメリカへ。


カリフォルニアの夏フェスやハワイ島の
フリーマーケットなどで展示したり、
このころギャラリーからも
声をかけられるようになりました。

日本でも、イベントのフリマに出品したり、
親友の協力で
観光地の路線バスの中で展覧会をしたり、
いつの間にか、作品と僕で面白そうなことに
色々チャレンジしていくようになっていました。
その後はほぼ今に至るです!

exhibition on the bus

水と紙に魅かれて

2000年に
銀座の画廊がついたことがきっかけで 
思いっきり創作に没頭できる環境を作りに
アトリエを探していました。

ginza 2003

そこで、高知に来たのは
一つは水!

水のキーワードで動いています。
作品制作に水が必要で、
科学的根拠はないですが、
経験としては
違いがあることを知っていました。
水はこちらのおもいを共鳴したり、
それとも水にこちらが共鳴してるのか、
あるいは
僕の創作で表現したいことの
追い風になるような水があるのかは
わかりませんが
実際水によって良い悪いではなくて、
自分の表現に向いてるかどうか
ということはあります


大阪にアトリエがあった時も、いつも
気に入った水を汲みにいっていました。
2000
年の展覧会会場で
僕がテーブルに置いていた、
水の結晶写真集の中にあった
四万十川のことを思い出し、
この水はどうかな?
ということで興味を持ちました。

もう一つは紙!
全国の和紙を使って来ましたが、
その中に伊野の職人さんもいてました。
展覧会など会場に手紙をくださっていて、
多少の交流もあったので
この2つで高知に来ました。

創作活動の源泉
作品について
これから